ベトナム外務省は21日、ベトナムの国や人々を紹介するPR映像「ベトナムへようこそ(Welcome to Vietnam)」を日本語など9言語で公開した。同映像は、同省が地場マットチョイソー・メディア制作株式会社(Digisun)と共に、2014年7月より制作したもの。
同映像は、バックグラウンドミュージック(BGM)の「ハローベトナム!(Hello Vietnam!)」に乗せて、北部から南部までベトナム各地の文化や人々の様子を約8分間で紹介している。同映像は、◇ベトナム語、◇英語、◇フランス語、◇中国語、◇ロシア語、◇スペイン語、◇ポルトガル語、◇日本語、◇アラビア語の9バージョン。
この映像制作は、ベトナムの観光名所やユニークな文化、ドイモイ(刷新)政策の導入による様々な分野での成果・実績を取り上げることで、進化を続け、生命力に満ち、豊かな人間性と長い歴史を有する、平和なベトナムのイメージを世界に広めることを目的とした、非営利プロジェクトとなっている。
* ベトナム観光について外務省のPRに当たるキング・コング映画を映されるいい方法である。
新作キング・コングシリーズ第1弾、2月にベトナムでロケ
文化スポーツ観光省によると、米レジェンダリー・エンターテインメントが製作する新たなキング・コングシリーズである「コング:スカル・アイランド(原題)/Skull Island」のロケ隊が2月にベトナムで撮影を行う。
映画『コング:スカル・アイランド』日本版予告編, 本編は2017年3月に全米公開予定です。
「スカル・アイランド(ドクロ島)」は、キング・コングや恐竜、巨大昆虫などが生息する幻の孤島。本作はこの島を舞台としたアクションアドベンチャー。
ベトナムでは、北中部地方クアンビン省にある世界最大のソンドン洞窟や紅河デルタ地方クアンニン省にある世界遺産ハロン湾などでロケを行い、撮影する映像はキング・コングの故郷の風景として使用する。昨年10月に撮影を開始し、既に米国のハワイとデトロイト、オーストラリアのクイーンズランドでのロケを完了しているという。
なお、本作では、新鋭ジョーダン・ボート=ロバーツがメガホンをとり、キャストでは、トム・ヒドルストン、ブリー・ラーソン、サミュエル・L・ジャクソン、ジョン・C・ライリーらが共演する。「スカル・アイランド」は2017年3月に公開予定。
From viet-jo.com
インドシナ (映画)
『インドシナ』(Indochine)は、カトリーヌ・ドヌーヴ主演のフランスの映画。1930年代のフランス領インドシナを舞台としたドラマ。フランスの植民地だったインドシナに独立運動が起こり始めた頃、インドシナを深く愛しつつも引き離されていくフランス人女性と、独立運動に身を投じたその養女の人生を描く。
1930年代、インドシナは植民地としてフランスに支配されていた。インドシナ人は、一部の特権階級を除いて虐げられ、苦しい生活の中で共産主義による独立の機運が高まっていた。
インドシナ生まれのフランス人エリアーヌ(カトリーヌ・ドヌーヴ)は、アンナンの王族である友人夫妻を事故で失い、遺児のカミーユ(リン・ダン・ファン)を養女として、遺産である広大なゴム園の経営も引き受けた。
エリアーヌは成熟した魅力的な女性だが、実父の面倒を見るうちに婚期を逸し、独身のままゴム園の運営を続けていった。 養女のカミーユが美しい娘に成長した頃、エリアーヌは、年下のフランス海軍士官ジャン=バティスト(ヴァンサン・ペレーズ)と恋に落ちる。しかし、共産主義者による発砲事件に巻き込まれたカミーユが、偶然ジャン=バティストに助けられたことで、カミーユはジャン=バティストに熱烈に恋をしてしまった。
カミーユのことでエリアーヌと口論になったジャン=バティストは、人々の面前でエリアーヌを殴り、へき地のドラゴン島に左遷された。カミーユは、幼馴染のタン(エリック・グエン)との結婚を承諾するが、タンに全てを打ち明け、ジャン=バティストを追って単身ドラゴン島に向かった。カミーユを逃がしたタンもまた特権階級の暮らしを捨てて、独立運動に参加する覚悟を決めていたのだ。
途中から徒歩の旅となったカミーユは、ようやくドラゴン島に辿り着くが、そこはフランス軍が統治する奴隷売買の拠点であった。フランス人将校を撃ち殺してしまったカミーユは、ジャン=バティストと共にドラゴン島を脱出し、共産主義者の地下組織に匿われる身となった。
カミーユとジャン=バティストの物語はインドシナ中の話題になり、カミーユは独立運動の『ジャンヌ・ダルク』と見なされるようになった。やがてカミーユは男の子を産んだが、父親であるジャン=バティストは赤ん坊と共に警察に囚われた。赤ん坊はエリアーヌが引き取ったが、ジャン=バティストは何者かによって暗殺された。
夫や息子とは別に逮捕されたカミーユは、5年後に釈放されたが、愛する我が子には会わぬまま独立運動に身を投じた。エリアーヌは、エティエンヌと名付けられたカミーユの息子を安全なフランスで育てるために、生まれ故郷であるインドシナを後にした。
時は流れ1954年。カミーユたちの努力でジュネーブ会談が開かれ、南北二つのベトナムの誕生によって独立戦争は終結した。だが、成長した息子のエティエンヌはエリアーヌの元に留まり、母に会おうとはしなかった。老いたエリアーヌにとって、彼女が愛した過去のインドシナは、もはやエティエンヌの中にしか残ってはいないのだった。
wikipedia
情報源: Minh Sinh
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